流れる砂

サハラ砂漠のオアシスに暮らしながら、一度もそれを目にすることなく一生を終えることはよくあること。砂丘は生きている。生きて動いている。長いあいだ同じ方向に吹き続ける風により、地形が変化し始める。幾千年の時の流れに形作られ、一粒の砂の動きで砂丘は昇ったり、落ちたり、削られたりしながら流れていく。高く突き出た峰はまるで山脈のようだけれど、目の前の眺めはこの手で掬い取れ、指の間をこぼれ落ちていくほどにもろい……。

 

そうしてオアシスの砂丘は、僅かずつ動きつづける。広場のモスクや、辻に立つ物売りの小屋や、路地にたたずむ家々に向かって動いている。けれど心配するには及ばない。オアシスに代々暮らしてきた人々は、時の流れと無常について心得ているから。砂漠がどのように息づいているのかを知っているから。砂漠の気性を熟知し、砂漠の知恵を敬い、常に変化し続ける影を踏みしめながら生きているから。

 

砂丘はすでに町の外壁のすぐそばまでやってきている。目を凝らせば建物の窓枠にうっすらと積もり始めている砂埃が見える。

 

村の長老たちは去るべき時を見極める……

 

「インシャラー」とは、神の意思のこと。風向きはいつともなく変化し、砂丘の動きもそれに呼応してひととき止まることもある。いつしかその村が砂に飲み込まれるとしても、それは100年、200年、300年以上先の話になるかもしれないこと。流れる砂は、まさに砂漠の生そのものだ。祈る時間はたっぷりある。どうすればいいのかを考える時間も十分すぎるほどにある……。

 

かつて砂に埋もれて「失われた」オアシスが、消えた場所の反対側に再びゆっくりと現れたことがあるという。その時、そこにもともと住んでいた人々の(何世代も後の)親類たちは元の場所へ帰り、家や店や学校、モスクなどを取り戻した。彼らは以前の生活に戻り、そこでまた以前のとおり暮らし始める……。

 

風はわたしの心のオアシスを吹き抜ける
アッラーの神に祈りを捧ぐ
夜明け前
太陽の照りつく日中
そして今一度、日が沈み、夜が冷え、三日月が昇る
この尊い月の光
星の天幕の下
世界に休息をもたらしたまえ
静けさと平和に包まれて
砂は流れる
恐れることは何もない