地球時間

私の腕時計では、次のアポまで30分ほどまだ文章を書く時間がある。ぴかぴかの新しい腕時計。実を言うと、前の古い時計がなつかしい。その時計は止まったかと思うと、また気まぐれに動き出す。電池の問題じゃなくて、古くなって調子が悪くなっているようだ。だいたい時計を見ていないときに止まることが多く、たとえば午前9時に時間を確かめて、2,3時間後にもう一度文字盤を見ると、やっぱり午前9時だったりする。魔法で一日が延びたみたいで、ちょっと得した気分だ!

 

もちろんこの地球上で息づくすべてのものは「時間」の中で生きているけど、自然界には、人間の生きる時間とは別のものが流れている。ためしに自然の営みを一分、一時間、一日という枠にはめ込もうとしてみれば、それはまあ、潮の満ち引きのようなものだってことがわかってくる。物事は「スケジュールどおり」に始まったり終わったりするものじゃない。どっちかっていうと、自然の循環にしたがって進化したり再生したりするような感じだ。「時間制限」は存在せず、唐突なスタートやストップもなく、絶対的な始まりや終わりもない。

 

私が自室の壁かけ時計にぜひ選びたいタイプの時計が、今カリフォルニアで設計されている。その名も「ロングナウ(長い現在)の時計」。年に一度だけ針が動き、100年に一度だけチャイムが鳴り、1000年に一度だけカッコーが歓喜の歌声をあげるという。時計の動きは星の流れに合わせてセットされるので、25,784年周期になる。この時計があれば、私ら人間も、いわゆる「地球時間」にもとづいて生きる術を学べるかもしれないという希望が持てそうだ。

 

私の古い腕時計は、今も見えるように棚に置いてある。今日はまた動き出したようだ。それは通常よりもかなりのんびりとしたペースではあるけれど。それでもこの腕時計が気付かせてくれるのは、何かのために奔走したり忙しく飛び回ったりしすぎることにそれほど意味はないということ。生きていく上で、真に良きことには、自然界が示してくれるように、永遠と豊かな時の流れがついてくるのだから。