薬用クリームなし、包帯なし、傷跡なし…

切り傷に薬用クリームをぬることは、そのものが治ることに実はそれほど関係していないのです。薬はただ、体が傷ついた皮膚組織の修復作業を始めることを促す役割をするだけ。実際に傷口をじっと見ても、その部分に何が起こっているのかはわからないけれど、薬用クリームが傷口をカバーし、炎症をやわらげ、消毒してくれることで、神経がリラックスして痛みが徐々に消えていくのです。こんな効果を少しでも感じると、効き目があるんだと信じる気持ちがおこって、傷の回復もずっと早くなるように感じます。
もう少し深刻な縫合や包帯が必要なけがの場合でも、同じように自然治癒のプロセスが傷を修復しようと体の中から働き始めます。包帯で傷口をふさぐことで、外からこれ以上トラブルが入り込むのを防ぎ、体が治癒するエネルギーを必要な箇所に集中させるのを助けています。傷口を縫い合わせることが傷を治しているのではなくて、傷が治癒するのを助けているのです。

 

小さな子どもを持つお母さんが、転んでひざをすりむいた子どもに接している場面を見たことがありますよね。これを「セラピー」と呼ぶ人はいませんが、これ以上奇跡的なヒーリングはないのではないでしょうか。お母さんは、すりむいたところを少しなでてやり、なぐさめてやり、自分のひざに子どもを抱いて、思う存分泣き叫ばせてやります。すると、次の瞬間痛みはどこかへ飛んでいくのです。何事もなかったかのように、子どもはまた笑いながら元の遊びの時間へと戻っていきます。薬用クリームなし、包帯なしでも傷跡もなく、この子の傷は癒えてしまいます。
これこそが本当の意味でのセラピーじゃないか、と思うのです。アロマセラピーだろうが、ドルフィンセラピーだろうが、ミュージックセラピーだろうが、加持祈祷だろうが、どれでも構わないのです。その人の自然治癒力が働き始める方向に道を開くことができるものならどんなものでも、意味のあるセラピーと言えるでしょう。ヨガがいいという人もいれば、自然の中での散歩を好む人もいるでしょうし、ハーブ湯やパワーストーンなんていうのもあります。いずれにせよ、環境が整っていて、タイミングが合って、本人とヒーラー、その時選んだ方法がポジティブな形でつながったなら、「セラピー」と呼ばれるあらゆる方法のどれもが大きな効果をもたらすことが可能になると思います。そして実は、「セラピー」という言葉ができるずっと以前から、そのことは何も変わっていないのです。

 

それにしても近頃はヒーリンググッズやメソッドの選択肢があまりにも多くなりすぎて、その中から本当の意味でのヒーリング能力をそなえた実践者を見つけることはまれです。おそらく本当の意味での継続的なヒーリングには、ヒーラーだけでなく、それを受ける患者側からも相当な集中力、エネルギー、そして信頼が求められるためではないでしょうか。いいことをやるのに時間がかかることは当然なのですが、現代のクイックな治療やクイックな解決が求められる生活とは相反してしまいます。本当の意味でのヒーラーは、自然の知恵に長けていて、患者が自分の中の「自然」と再びつながるように本能的に導いていきます。その結果、患者はヒーラーと一緒に心の中の安らかな場所へ戻る道を見つけていくのです。

 

ともあれ、私たちは先ほどのお母さんとその愛情をいっぱい受けた子どもの関係からたくさんのことを学ぶことができます。お母さんはいかなるメソッドや訓練を鼻にかけることもなく、セラピーに関する学位や資格を持っているわけでもありません。ただ、いつだって必要とされる時にそこにいてあげることを知っているのです。そして、何かが起こったときに、本能的にどう対応するかを知っているのです。お母さんは、ためらいなく対応し、しばらくすれば、彼女の一番大切な「患者さん」の涙はすっかりかわいているのです。
すりきずを何回かなでてやり、おまじないをかけて、動揺することなくしっかりとけが人を抱いてやり、おびえている魂をやさしく包み込み、すっかり回復するまでずっとそばにいてあげるだけで十分なんです。