ファミリー

チベットに古くから伝わる教えでは、人は何度も生まれ変わって生きるので、道ですれ違うすべての人はかつての人生で、自分の両親または子どもであったという。

 

(ここから先を読む前に、もう一度、上の文を読んで、その様子をよーく想像してみてください…)

 

では、1日でもいいので、その想像をしっかり頭にとどめてみてください。そうしてみると、きっと世界が驚くほど違って見えたり、感じられたりすると思います。周りの人に対して、あたたかくて誠実な思いを抱きやすくなるような、心の深い所から思いやりがわいてくるような、他人(いや、すでに 他人 ではない)に手をさしのべることが当たり前に思えてくるのです。気持ちの良い笑顔や、思いやりのあるひとこと、握手やハグなどの簡単な挨拶を交わす中にも、今まで以上の喜ばしさを感じるでしょう。そのうちに、周りの人が同じように反応しなくても、この感覚を持って行動することを自由に、自然に「努力」することなくできるようになってくるでしょう。

 

なぜなら、周りに誰一人として初めて「出会う」人なんていないから。かつて、どこかで彼らと出会っていて、それどころか、とても近しい関係だったことがある人たちだから・・・

 

でも結局は、ほとんどの人が、その人生においてわずかに限られた人々とだけ、本当の意味での安らぎや親しみを分かち合います。実際、たった一人の本物の「ともだち」を持てることはありがたいことです。けれども、どこにいても自分の中のやさしさをシェアしていくこと、毎日の生活の中でできるだけたくさんの愛をふりまいていくことはできるし、そこには大きな意味があります。ともあれ、この人生ですれ違う人々が、他人のままであろうが、知り合いになろうが、クラスメイト、同僚、親戚、親友、恋人、ともだち、敵のどれになっても、誰もが、過去・現在・未来のいずれかにおいて、ふたたび「ファミリー」になるのです。冒頭の宝石のようなチベットの知恵が示してくれるように…。世界は、過去も現在もこの先もずっと変わることなくこうして流れていくのです。