小浜島三人娘

八重山諸島にある小浜島へ行くには、石垣島から35分ほど船に乗ります。現在の島の人口は458人。小浜島の観光は半日”チュラさん”ツアーとヤマハリゾートくらいで、石垣島はもとより近くの竹富島、西表島などよりいくぶん観光客が少ない感じがしますが、他の島々同様、小浜島も静寂な自然美にあふれています。自然の風景に心がなごむのはもちろんですが、わたしはそこに生涯暮らし、働き続けている人々との出会いにもっと心を動かされました・・・。

 

4度目の八重山諸島訪問で、今回初めて小浜島を訪れました。あるセッションのためです。場所は大嵩(オオダケ)あきさんの自宅。彼女のお姉さんのよねさん、近くに住む慶田城(ケダシロ)さんを交えて演奏しました。よねさんは94歳でこの3人組のリーダー。あとの二人はまだ80代!の若手。まずは日本語と小浜弁の入り混じる世間話が始まって、すぐに次から次へと歌が始まり、”三人娘”の顔は楽しさで上気してきました。時おり、歌の始まりのところではにかんだり、途中で歌詞がわからなくなってまごついたりもしましたが、エンディングの盛り上がりをはずすことは絶対にありません。かすかだけれど安定した手拍子のリズムで、コーラスは何度も何度もくりかえされるのです。でも、何度もくりかえされるメロディーに誰も飽きることはありませんでした。

歌詞が出てこないのは年のせいばかりとは言えないのです。古くからの沖縄民謡は、曲によると100番以上の歌詞を持つものがあるですから!さらに歌い手は歌詞を変えたり、即興で歌詞を付け足したりすることがよくあります。このセッションのためにわたしが用意したのは、カリンバと小さなドラムと三線(サンシン)。カリンバはやはり少し変でした。ドラムも少したたいてみたけれど、合わないのでやめました。歌声と三線と手拍子だけの方がリズムがずっと自然に流れていくようです。それでわたしは三線のみを弾くことになりました。海人(ウミンチュ)でも日本人(ヤマトンチュ)でもないし、三線の腕前もあやしく、限られたレパートリーしかなかったのですが、これがかえってよかったようです。スタンダードな「てんさぐの花」や観光客向けのバーでよく演奏される「安里屋(アサドヤ)ユンタ」などは”三人娘”が歌うと歌詞が違う(言語が違うと言うべき?)のみならず、メロディーさえ聞いたこともないようなものなのでした。それもそのはず、わたしたちは小浜島の言葉とメロディーで演奏しているのですから。竹富島でさえ、彼女たちからすれば太平洋の反対側と同じぐらい遠い場所。沖縄本島(ウチナー)はもっと遠いところ。島々の外に生きる人々が九州と台湾の間にある全部の島を勝手にまとめて「沖縄」
と呼んでいるだけなのでしょう……。

わたしはアメリカという島で、小浜島とは全く違った環境のもとで育ったので、彼女たちの歌に三線を合わせるには、耳で聞きながら弾くしかありません。彼女たちの声の高さにチューニングを合わせ、リズムに軽く乗り(波乗りサーファーのように)メロディーをすばやくキャッチするのです。1番の歌の最初の音を弾き損ねたりすると、2番でも3番でも同じく、コーラスはもう一度戻ってきてくれて再度チャンスをくれます。とうとうついていけなくなっても、”三人娘”は歌と手拍子で演奏を続けます。もしかしたらわたしが止まってしまったことにも気づいてないのかも!3人はこれらの歌の数々を子供の頃から歌いつづけてきました。80年以上、と思うとすごい!ずっといっしょに歌を歌ったり、遊んだり、踊ったり、笑ったり、泣いたりして80年を過ごしてきたのでしょう。

伝統の歌ではあるけれど、彼女たちの音楽は生きているし、微妙に変化し続けてきているのです。海の波音や熱帯の島をわたる風のようにメロディーはいつもそこにあって、いつも「なつかしい」。でも楽譜に書き留められるものではなく、2度と同じ演奏はありません。年月が過ぎようと、歌うたびに(そして杯を空けるたびに)心はリフレッシュされ、新しくなり、また楽しい宴が始まります。 小浜島を訪れて以来、自分の音楽が以前よりも自由になった気がします。三線の音色もずっと甘くなっている(いてほしい)と思うのですが……。そして、あの”三人娘”のことを思い出すと、微笑みと、ありがとうの気持ちがあふれます。
(写真提供:佐藤嗣さん)
*佐藤嗣さん撮影のビデオ映像もあります!
www.thelemitcs.com/profile/movie.html