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「ワガー」* fromアラスカ



*ヤピックとカピックのアラスカネイティブのあいさつ

「過去何千年にわたり、ネイティブの人々がここに生きてきた。しかしこの土地を見渡しても、彼らの生きた痕跡をもはや見出すことはできない。西洋文明がこの土地に現れてわずか2、3百年にしかならないが、見渡す限りその痕跡でいっぱいである。」
クロード・デミエンティフjr.(ネイティブアラスカン)



 もしも世界の歴史が現在とは違った道をたどり、西洋諸国がアラスカを開拓し、土地を奪い取ることなしに通り過ぎていたなら、このすばらしい土地は今ごろ立派な一国となっていたことでしょう。その大きさだけを見ても、一国となるにふさわしく、イギリス、フランス、イタリア、スペインを合わせた国土よりも大きいのです。(日本はイタリアよりほんの少し大きい……)アラスカ本土と各諸島を合わせると、その東西は3864キロにおよび、最西端諸島は首都のアンカレッジへよりも東京への方が近い位置にあります。

 冷たく荒れた海に囲まれていたおかげで、アラスカはもっとも遅くヨーロッパ人により開拓された地域のひとつになりました。最初にアラスカの海を横切った外国船はスペインのものであったと考えられています。1640年のことです。アラスカの土地に初めて降り立ったヨーロッパ人は、おそらくデンマーク人の船乗りヴィータス・ベーリング(1741)でしょう。彼の「発見」により、ベーリング海という名が今も残されているのです。
 もちろんベーリング氏がやってくるずっと前から、ネイティブの人々の使うこの海の名前があったはずです。彼らは3万年以上前にアジアからこの海を渡ってやってきたのですから!その頃は氷河期でもあり、シベリアとアラスカは陸続きだったのです。この頃の人々は「探検」ではなく、動物の移動を追って住まいを移していたのです。動物は彼らの衣食源であり、生活の道具、住居の材料でもありました。古代史に興味がなくても、シベリア、日本のネイティブであるアイヌ、アラスカ、カナダのエスキモー、ネイティブアメリカン(インディアン)の人々の顔がとても似ているのはわかるでしょう。これら外見や伝統の類似は南米にまで続いています。
 ある年の夏、わたしは切るように冷たい風の中、北極圏限界線の少し北、ベーリング海峡のアラスカ海岸に立って、その昔、氷の橋がどんなふうに現れたのかを想像していました。(よかったら、ここで一緒に世界地図を見てみましょう。)アラスカとロシアが本当に近いことがわかります。88キロしか離れていません。風がよければ小型船で簡単に渡ってしまえる距離です。土地の開拓のためにヨーロッパ人がこの海を渡らなかったなら、またロシア人とアメリカ人が後に自然資源を搾取し国境線を引かなかったなら、アラスカやシベリアのネイティブの人々は今ごろベーリング海峡を自由に行き来し、漁業や貿易に従事していたことでしょう。

 過去何万年もの間、アラスカには人々が渡り、暮らしてきました。紀元前2000年頃までに、アラスカに定住する人々が現れる一方で、季節のサイクルに合わせて変化する食料源を追って移住しつづける人々もいました。(もちろん、動物たちはそのもっと前から住んでいました。)この間に自然のバランスが崩されることはありませんでした。その後、300年と経たないうちに、スペイン、デンマーク、ロシア、さらにイギリス、フランスその他の人々が入ってきて、狩猟、毛皮、漁業、木材の伐採と搬出による利益をめぐる争いが繰り広げられました。環境は危機にさらされ、ネイティブの人々の多くは強制労働や移住、飢え、病気のために命を落としました。
 ロシアの支配下にあったアラスカに、アメリカ政府は軍事力ではなく経済力を行使して、その触手を伸ばします。1867年、簡単な条約と小切手の署名によりアラスカ全土はアメリカに購入されてしまいます。なんと1ヘクタール1円という破格値がつけられたのです!(その後、金と油田が発見されています……)この日以降、アラスカはアメリカの領土となり、1959年には第49番目の州になりました。

 どれだけの歴史書が次の疑問に答えているでしょうか?一政府が自分のものでもない土地を売ったり買ったりすることがどうしてできるのでしょうか。それも無人の土地ではなく、長年にわたり歴史を育んできたネイティブの人々の住む土地を売買することが、許されるのでしょうか。
 こういう話になると、アメリカのパスポートを持っていることが恥ずかしくなります……!

 ともあれ、現在のアラスカにはエスキモーの人々が暮らしているでしょうか?答えはイエス。アリュート、アルティク、エヤック、アサバスカン、トリンギット、ツィムシャン、ハイダの人々、さらにイヌイット、イヌピアット、ヤピック、カピックの人々もそうです。彼らはアラスカ州の中でもそれぞれ異なる地域に暮らしています。森の中、川沿い、ツンドラ(凍土)上、海のそばなど様々です。彼らの祖先は大昔に各地に生まれたのでしょう。土地により異なる風習、食物、言語があります。広大な土地に暮らしているためか、仲間内で大きな戦争を起こした記録は残されていません。(しかし、中には他のグループへの襲撃や、互角の戦い、激しい交戦を意気揚揚と話してくれる人々もいましたが!)
 どのコミュニティーも今では純粋に「ネイティブ」ではなく、その割合もアラスカの全人口のわずか16%にしかなりません。次世代の子供たちへの教育を熱心にする人々や、近隣の人々やわたしのような観光客を対象に、消滅しつつある伝統的な暮らし方や信条などを語り伝える動きがあります。ネイティブの人々がもっとも集中しているのは北部の街バローで、総数は4000人になります。小規模な村になると30人以下のところもあります。こういった小さな町は今も孤立しており、小型飛行機を使ってようやくたどりつくことができます。人々の暮らしは今では遊牧ではなく、住居も現代の建材を使って建てられたもので、電気や灯油による暖房設備が整っています。(今は、雪のイグルーはありません。)彼らは大型テレビを所有し、インターネットを使い、ラジオでポップミュージックを聞き、リーボックやジーンズをはいて、スノーモービルに乗って、コカコーラを飲んでいます。(アメリカですからね。)いいニュースとしては、アメリカ政府が現在観光客による狩猟や漁業を厳しく規制していることです。そうすることでネイティブの人々ができるだけ自由に狩猟や漁を続け、伝統的なライフスタイルを営めるようにしているわけです。ネイティブの生活は自然のサイクルに呼応して営まれ、クジラ、セイウチ、アザラシ、北極グマ、カリブー、魚などと共存する生き方です。子供たちは学校でネイティブの言語や歴史、習慣(音楽やダンスも含む)を学び、自分たちの伝統に誇りを持って成長していきます。しかし、彼らは同時にアメリカ人でもあります。そのために矛盾が出てきます。現代アメリカの理想的なライフスタイルを送るには、相当な金銭が必要となり、生活費が高く仕事の少ないアラスカの土地では大変です。ファーストフード、ファッション、車、他州の大学への進学というのが多くのアラスカの青少年のたどるパターンです。完全に伝統的な生活スタイルに戻ることは今さら不可能なのだけれど、(日本の若者が江戸時代の暮らしに戻れないのと同じこと……)アラスカの天候や土地柄は現代の「アメリカンドリーム」を達成するために最適な環境とは言いがたいのです。

 わたしはみなさんがぜひ知りたいと思っているだろう次のふたつの質問にまだ答えていませんね。
・アラスカってどれぐらい寒い?
・オーロラが見えた?
答える前にまずいくつかのストーリーを聞いてください。お話の最後に必ず質問に答えますから。(とばし読みはアカンでー!!)

 トリンギットとハイダの人々は木彫りをたいへん得意とし、今日でも美しいトーテムポールや大きなヒマラヤスギのカヌーを作ります。もう少し北へ進むと、森林のない土地に出ます。そこは海岸沿いのツンドラ地帯で、イヌピアットやイヌイットの人々が高度な海釣りと氷釣りのテクニックを駆使し、60トンのホッキョククジラをヒスイの先端のついた銛を使い、素手で引っ張り上げるのです。「カヤック」というのもイヌイットのことばです。元来はアザラシの皮を縫い合わせて簡単な木組みのフレームにつけたボートです。(完全防水です!!)カヤックにはイヌイットの人々と同じく歴史があります。カヤックは古代より狩人たちがアザラシを始め、セイウチ、クジラ、カリブー、魚、鳥などに静かに近づいて捕獲する「サイレントハンティング」に使ったり、物資や人を運搬するのに使ったりと最も珍重されてきた道具でした。(現在では人の運搬にはフォードやトヨタが好まれていますが…)イヌピアットの人々は今でも象牙、ヒスイ、石鹸石ですばらしい美術工芸品を作ります。アリュートの人々はバスケットを編むことで知られています。もっともどのネイティブグループも美しいバスケットを作ることを得意としています。それぞれの自然環境から採取してきた材質を使って編むので、材料は柳の根を始め、樺の樹皮、ヒマラヤスギの樹皮、ライ麦の茎、さらにはヒゲクジラのあごの中の「ヒゲ」までさまざまです。もっとも驚かされたバスケットには、1平方インチに2500ステッチ(およそ1平方センチに400ステッチ)も編目があるのです。1平方インチ編むのに15時間かかる計算になります!今度バスケットを手にする時に想像してみてください……。

 伝統的な音楽やダンスについてはどうでしょう?ヤピックの人々の言い伝えです。
  「悲しみはダンスが癒してくれる。歌えば魂が呼び覚まされる」
  「ダンスは喜び、ユーモア、笑い、愛を表現するチャンスをくれる。自分を表現すること、
   それはまさしく癒しへの入り口である」
  「人々が共にダンスをする時、その心に邪心はない」
  「ドラムが打たれる時、病は消える。ダンスを踊ると痛みを忘れる。この喜びが病を癒す」
 これらを読むだけで、彼らがどれほど歌とダンスを愛する人々であるかがわかります。唯一使われる楽器、それも唯一必要なものがドラムです。キーローティック、サウイット、チャウヤックなどと呼ばれ、もっともポピュラーなものは日本の「うちわ」のような形で、短い木製か骨製のもち手がついています。ドラムの皮には伝統的にはクジラの肝臓膜、セイウチやアザラシの腸、それほど多くはないけれど鹿皮などが用いられます。(だ?れも見ていないところで)一人で練習するときには、くずかごやごみ箱のフタでもOKです……。ドラムスティックは一本だけ使い、材質は柳やトウヒ(唐檜)です。
 ダンサーたちはお互いに触れることはなく、女性よりも男性ダンサーがワイルドに踊ります。これは男性が狩人であり、家を支える役割を持つことを反映しています。クマやワシなどの動物の動きをまねたダンスも多く見られます。(アイヌの人たちの踊りも同じですね。)めずらしい風習としては、ダンサーたちは手袋をしていることです。(手が冷たいからでなく、)ダンスには神聖な儀式に用いる小道具などに触れる機会があるためです。

 ネイティブのアラスカの人々の音楽の伝統の中で、わたしが気に入ったもののひとつは、ソングデュエル(決闘の歌)と呼ばれるものです。これは村の中である男が別の男から侮辱されたときに、歌で相手に決闘を申し込むというもの。他の村人たちは、ふたりが即興の歌でウィットやひやかしの戦いを交え、相手の弱点や欠点をあげつらう場に立ち会います。観衆は爆笑しながらどちらかの応援をし、どちらかが恥じ入って「敗者」となるまでを見守ります。これでふたりの仲たがいに終止符が打たれることになります。日本の政治のニュースも、首相と少数派政党のメンバーが国会で歌で戦ったりしたらもっとおもしろいものになると思いませんか?!
 もうひとつのユニークな風習は、現代ではほとんど見られなくなったけれど、ジョーキングパートナーソングと呼ばれるものです。これは遠距離に住む親友同士やいとこ同士など、あまり普段会う機会のない者同士の間で行われます。まずひとりが遠くの「パートナー」のために明るくて楽しげな歌を作ります。次に「パートナー」の住む村を訪れる予定のある人にその歌を教えます。この人が「メッセンジャー」として(時にはプレゼントといっしょに)パートナーへ歌を歌ってあげます。それからこのメッセンジャーは返事の歌を覚えて帰ってくるわけです。日本の宅急便の配達人もこんなサービスをしてくれたら素敵だと思いませんか?!

 こういう文化にまつわる話にはあまり興味はないが、自然についての話は好きだという人もいると思います。そういう人はぜひ夏のアラスカを訪れてみてください。とにかくアラスカの夏は日が暮れないので自然を思う存分いつまでも堪能できます。最北部のポイントバローでは2ヵ月半は日が沈みません。(5月から8月)そのため夕食後にハイキング、夜10時からのサイクリング、真夜中のソフトボールの試合なんていうのもあります。先の質問のひとつ「オーロラ」を見たかどうか、ですが、残念ながら日が沈まず、見えませんでした・・・
 夏の気温ですが、アンカレッジではそれほど悪くありません。午後で20度という快適な時もあり、地元の人々はTシャツに短パンでアイスクリームを片手に持っています。内陸部に行くと30度を超え、南部では海岸沿いにかけて雨がたくさん降ります。北部では夏でも昼間は10度ぐらいで、夜間は氷点下まで下がります。冬はもちろんこんなものではありません。バローに暮らす人々は11月18日に日が沈むのを最後に、約2ヵ月後まで太陽を拝むことはありません……。
 いつだって日の入りと日の出を見ることができることに感謝しましょうね。

 アラスカのイメージのほとんどは雪におおわれているのではないでしょうか。実際はいつどのあたりのアラスカを訪れるかによって大きく変わってきます。北極近辺のイヌイットの人々が雪についての専門家と言えます。彼らの言語には雪を表すたくさんのことばがあります。以下にほんの少し紹介します。
  アヌイ(annui)          降ってくる雪
  アプシック(upsik)         風に打たれる雪
  アピ(api)            まだ風に吹かれていない雪
  シコック(siqoq)          大地を転がる雪
  サルマローク(saluma roaq)    さらさらの粉雪
  カリ(qali)            樹氷
  デットスロック(det-thlok)     雪靴がいるほど深い雪

 一年中エアコンの効いた部屋でこれを読んでるあなた、さぞ寒さに弱くて、冬は家の中に引きこもって、トロピカルをこよなく愛するタイプでしょうけど、アラスカについては十分興味が持てましたよね。ここで美しいアイスブルーの1マイルにも達する透明な氷河のパノラマを楽しんでみましょう。アラスカには10万をこえる氷河があります。中でも有名なのはスイスよりも大きな面積をもつ氷河です!頂点から海水面まで流れるのに250年を要するものもあるぐらいです。(眺めるときは気を長く持つように……)これらの眺めは船のデッキから見るのがもっとも壮観です。ラッキーならクジラが通るのも見られるかもしれません。
 氷河を船で巡っていると、標高6195メートルのマッキンレー山が見えてきます。どこかでユーコン川にも行き合うでしょう。この川は3000キロもの流れを誇ります。野生動物が好きなら、アラスカは絶好の地です。人口をはるかに超える数が生息しています。60万人の人口がアラスカ全土のたった0.001%の都市で生活しているのです。アラスカは地球上で人口密度が最も低い土地なのです。人間よりもカリブー(90万頭)がたくさんいますし、クマは4万頭、600キロ級のムースやもっと大きなクジラ、ゆかいなアザラシやセイウチ、川では鮭が産卵し、泳ぐというより他の鮭の上を這うという感じで川が鮭であふれ返ります。(手づかみできますよ……)400種の鳥が生息し、2千万匹のシギや水鳥が海や湖(300万に上る湖)に生きています。それから言うまでもなく、空気はいつでも驚くほど新鮮で澄んでいます。

  最後にハイダの人々のあいさつを送ります。
  タツクイーック(TATSQUIIK)     「ようこそ、誉れ多き土地へ」

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